彼の理想の田園へ

日記と妄言、活動記録。

【スト6】ザンギエフでMASTER到達したのが嬉しかった日記(2024.02.23)

目次:

1. はじめに

 昨年6月の発売以来、国内外で大ヒットを飛ばしている大人気格闘ゲームストリートファイター6』ですが私個人はなかなか遊ぶ時間が取れず悶々とした期間を過ごしてきました。今年に入ってなんとか自分の中での優先度を上げ、他のすべてのことを放置してようやくまとまった時間を確保してプレイすることができています。スト6、めちゃくちゃ楽しいです。

 そんな中で私はバラエティ豊かなキャラクターのリストから「プロゲーマーや有名ストリーマーが使っているのを見て『このキャラなら楽しみながら簡単に勝てるんじゃないか』と勘違いしたから」という理由でザンギエフを選び、直近の約三週間をランクマッチという純粋な競争の渦中に身を投じていました。今回はそんなランクマッチについて、自分の中での一つの目標である『MASTER到達』を達成することができたのでその思い出やら思考のまとめやらを残す意味でブログを書くことにしました。

 ランクマッチの過程や自分のプレイの所感について触れていく関係で必然的にゲーム内容についても自由にあることないことを書いていきます。誰が読むでもないとは思いつつ誰かが読まないとも限らないとも思うので一応注意書きを残しておきますが、本記事は2024年2月23日現在の一個人が有する情報を元に執筆されたものです。

 

2. ランク推移の概説

1. PLATINUM1到達まで

 2024年1月28日。ほとんど何も知らない状態で始めたランクマッチは初戦から怒涛の8連敗を喫し、「あれ?普通に難しいぞ?」と思っているうちに最初の査定が終わった頃には7400LPのSILVER4がつけられていました。その後なんやかんやあり(まったく記憶がない)、なんとなく自分が使うべき技や当たってはいけない相手の技などに見当をつけている間にじわじわとLPが上がっていき同月30日にPLATINUM1になっていました。

2. DIAMOND1到達まで

 その後も正確な知識を身に付けないままなんとなく勝ったり負けたりしてはポイントだけが増え続けるというバブル的な成功体験を重ねてゆき、途中に頭の中だけでザンギエフについて考える日や特に何もせずに無為に過ごすだけの日を挟みながら2月10日にはランクマ開始後当初の目標であり自身の限界だろうとも思っていたDIAMOND1に到達しました。

 この頃になるとザンギエフ自体の強みや弱みが分かってくるに伴って対戦相手のキャラに対する不満点がいくつも思い浮かぶようになってきます。自己の輪郭がおぼろげながらにでも見えてくることにより、相対的に『世界』の構造を把握しつつあったということです。具体的にはルークのサンドブラスト春麗の気功拳、ケンの強龍尾脚やJPのだいたい全部の技などが無理でした。あまりにもクリティカルで鋭すぎる技の数々、いくらなんでも無法過ぎます。

3. MASTER到達まで

 そんな機関銃の弾丸や大砲の砲弾が絶えず飛んでくる地獄の前線を進み続けてDIAMOND4、24000LPになった辺りでした。それまで順調だったポイントの上昇がついにぴたりと停滞してしまいました。予期していたこととはいえ驚くほど急に勝てなくなったので困惑しました。

 それから4日ほど負けが込んでいる状態が続きましたがその間に色々と修行した結果、自分の中で何らかのブレークスルー(よくわからない)が起こり突然思考がよくまとまるようになった感覚を得て、死ぬほど厳しくてしかもマッチ数が特別多かったルークやケンにも勝てるようになってMASTER到達することができました。2024年2月22日深夜のことでした。この間にいったい何があったのか、今でもよくわかっていないそうです(他人事)

 『ストリートファイター6』は画期的なことに自身の対戦履歴やその映像だけでなく、対戦回数や技の使用回数など対戦に係るあらゆる情報が残され閲覧することができます。ここまでまったく実のデータや攻略情報などがなく本当にただのとりとめのない日記の様相を呈してしまっているので、軌道修正のために確かな数値について少しだけ触れておきます。

 1574戦もやったかなという感じですがかなりやっていたようです。その中でも圧倒的に多かったのがやはりルークとケンとの対戦で、終盤こそ「地獄過ぎて逆に慣れて楽しい」というマインドチェンジができたものの序盤中盤はかなり苦しめられました。

 最も勝率が高かったのは意外にもガイルでした。ガイルはスト5で使っていたキャラクターであり、スト6でも昨年少しだけ練習していたのでその点の理解がわずかに作用したのかもしれません。嘘ですまったくわかりませんでしたがなんとかなりました。私もわかっていませんでしたが恐らく相手もよくわかっていなかったのだと思います。ここに対人ゲームの大きな特徴があるのでしょう。
 逆にリリー戦は本当に厳しくほとんど勝てずにワーストの勝率となってしまいました。同様にブランカ戦の勝率もとんでもないことになっています。マッチ数が少なかったのが幸いしました。

 各キャラクターへの対策という点ではトレモですぐに調べられることは調べ、よくわからないことはとりあえず置いておくというスタイルで雑に知識デッキを構築してきました。できたこと・できなかったことはあるにしろひとまずこうして私の18日間の旅が終わりました。

 

3. 具体的にやったこととかやらなかったこととか

 ここからは具体的にゲームに即して具体的にやったこととやらなかったことを書いていきます。少し攻略情報じみた内容になってきますが決して「これから後に続く人々のために...」などという啓蒙目的のものではなくあくまで私自身の思考を整理する日記としてのものです。というか普通にザンギ始めてキツ過ぎて「なんだこのゲーム...」ってなる虚無の時間もちょっとだけあったのでこれから後に続く人にはぜひ他のキャラを使ってもらいたいなと思います(過激派)

1. よく使った技・連携

■ビッグスタンプ(↓+強K)>パリィDR

 いわゆる大足。すべての根幹の技。ギリギリ当たりそうなところで振ってみたり相手の中足の差し返しに使ったりした。大足でダウンを取ったらドライブラッシュで近づいて色々仕掛けられる。全然よくわかっていない対戦でもギリギリ思考を平静に保たせてくれる安心感のある技。すべての試合で一番多く使ったと思う。でもガードで-13F(終焉)

スクリューパイルドライバー(→↓←↑+P)、ODスクリューパイルドライバー(→↓←↑+PP)

 ザンギエフの始まりにして終わりの技。なんか喫緊の諸問題を包括的に解決する。弱Pをガードさせて+2Fの状態の時とか相手の生ラッシュを止めた後とか、無敵技をガードした後とかに使う。弱版がかなり間合いが広く発生が5Fと速いため、ガードで+5Fの時の確定反撃や有利だけど微妙な距離で何をしたら良いか分からない時などにとりあえず出しとけば良いからけっこう初級者向けだなと思った。1P側2P側でコマンドも変わらないし。あとレバーレスコントローラーを使っているため方向ボタンを「ジャッ!」てスライドして押して出すのが気持ち良かった(小並感)

■カウンターチョップ(中P)>マシンガンチョップ(中P)>マシンガンチョップ(中P)

 シンプルだけど面白くて一生振りたい技。普通にガードさせる目的で振ったり生ラッシュを止める時に振ったりした。あとランクマ中盤からはルークやケンなどの"中足>キャンセルラッシュ>色々"が地獄過ぎたため、それに抗って発生前に潰すために当てに行った。座して自滅を待つことはすべきではないということを学べた技。他にも一発目の時にドライブインパクトで取られていないか確認してから二発目を撃ったり、二発目がカウンターヒットしているか確認してから三発目を撃ったりするのが楽しくて味わいが深かった。

■ダブルラリアット(PP)、ODダブルラリアット(弱P中P強P)

 救世主であり呪いでもある技。すごく簡単に出せてだいたい対空になるためどんな時でも撃ってしまう。SILVER1からMASTERまで一貫してこれで対空してるだけで勝てる試合もあったし、逆に潰されたり出すのが遅くてガードされたりしてこちらが一瞬で終わる試合もあった。でもダブラリ先輩がいなかったら俺ここまで来れなかったっす。ただ回る事が楽しかったし、から回る事も楽しかった。いつの日か回り疲れた時も側にいてください。

■ロシアンフィスト(↓+中P)>ダブルラリアット(PP)

 相手の生ラッシュを止めつつダメージも高めという素敵な技として序盤に使っていたが、↓中Pが遠めで当たった時にダブルラリアットが空振りしてそのまま死ぬという弱点が見つかったためあえなく使用中止に。しかしケンの長距離強龍尾脚(めちゃくちゃ強い)に対する最終決戦兵器としてギリギリ使えたり使えなかったりしたところは満足感があった。†これが僕の結論(コタエ)だ†

■ショートスタンプ(↓+弱K)

 生ラッシュをいかに良い感じで止めるかがスト6の要点だと途中で流石に気付いたため、↓中Pに変わって主に使っていたのが↓弱Kだった。この技単体のダメージは低いが発生が速く右手の親指で押しているためほとんどの状況でサクサク止めることができた。止めた後はそのままザクザク連打したりスクリューで投げたりした。弱攻撃で止めてスクリューで投げるのが大半のダメージ源だった気がする。

■スパインバスター(↘+弱P弱K)

 種類が多いザンギエフの通常投げの中で一番強そうなやつ。↘投げ>前ステップ>→強Pをするとフレームが綺麗に埋まっていてすごい。あと画面端で↘投げ>↓弱K空振り>→強Pがガード+6Fを取れてすごい。たまになぜか+8が取れていたような気がするけどどういう現象だったかよくわかっていない。

ヘッドバット(→+強P)

 終盤に習得した革命的な技。DIAMOND3付近までなぜか使っていなかったが使ってみたらめちゃくちゃ強かった。というかザンギエフの近距離の技全部これです、多分。ガードで+4Fのためガード後のスクリューを読んでジャンプする相手に弱Pがヒットする。ガードされていても当たっていても色々ある夢の技。あと技の見た目が気持ちいい。強攻撃はすべてを解決する。

■フライングボディプレス(ジャンプ↓+強P)

 自分以外の全員が画面端の連携を完全に熟知しているせいで一度画面端に連れていかれるとそのまま死んでしまう。その厳然たる現実に立ち向かうべく使い始めた技。めくり性能がついているためとにかく前ジャンプして攻撃を当てつつ入れ替える。この技と「画面端から前ジャンプで逃げる」というマインドを習得できなければMASTERになれなかったと言っても過言ではない。

2. 使いたかったけど使えなかった技・連携

■フライングヘッドバット(垂直ジャンプ↑+強P)>ODボルシチダイナマイト(→↓←↑+KK)

 上手い人が絶対にやっている印象。一回の対空でめちゃくちゃダメージを与えられるしダブルラリアットと違い頭の上を飛び超えるジャンプにも対応できるのが良い。対戦では一度も出せなかったため「対応できるのが良い。」は妄想。終わり。

ヘッドバット(→+P)>キャンセルDR>カウンターチョップ(中P)

 24000LP付近で停滞した時に検索した攻略動画で「絶対にすべきこと」として紹介されていたのが強攻撃>キャンセルDR>無敵技に割り込まれない何かの攻撃でガード+2Fの状況を作ることだった。この連携で中Pがヒットしていたら中P連打、ガードされていたら↘投げor↓弱Korバックステップして相手の投げや垂直攻撃の空振りを見て中スクリューor相手のバックジャンプを見てボルシチダイナマイトなど色々なことができるっぽい。この連携を見つけた時は興奮したが対戦中は完全に忘れていて本当に一度もやらなかった。というか選択肢が色々あり過ぎてやっても多分ミスる。

■ダブルロシアンチョップ(強P強K)

 ドライブインパクト。全然当てられなかったし自分は最後まで全然返せなかった。なんで?

■ボリショイストームバスター(→↓←↑→↓←↑+P)

 コマンドが出せなかった(終 制作・著作|NHK

3. まったく使わなかった技・連携

■シベリアンエクスプレス(→↘↓↙←+K)

 移動するコマンド投げ。動画や配信で見てこの技が派手で強そうだったからザンギエフって強いんじゃないかと思っていたが、自分で調べてみたらかなり避けられたり潰されたりしてしまってそんなでもなかった。普通にスクリューやった方がいい気がする。

ストンピング(↓↓+中K>中K>中K)

 ?????

 謎の技。ただ踏むだけの技が"""実戦"""で通用するわけあらず。

ツンドラストーム(↓↓+強K)

 ??????????

 謎の技その2。真面目な話、当て身技のため相手のキャラの技をよくわかっている上級者用の技だから一回も使うタイミングが無かった。

4. おわりに

 ここまで書いておいて我ながら「めっちゃ書くやん...」と思いましたが久々にゲームをやってしかも上手くいったので仕方ないと言えばそうかも知れません。

 私にとってザンギエフはもともと嫌い寄りのキャラクターでしたが、今回実際に自分で触れてその特性を学んでいくうちに好きとは言わないまでも多少は寄り添うことができるようになった気がします。しかしながらザンギエフを使っていることへのなんとなくの後ろめたさやぼんやりとした不安があるのもまた事実です。

 数日後には新キャラ・エドが追加され全体的なキャラクター調整も行われる様子なので、そのタイミングで真に本気で付き合っていけるキャラクターを見つけられればなと思います。ザンギエフ、今まで本当にありがとう。

【読書感想】『涼宮ハルヒの憂鬱』刊行20周年に寄せて(2023.06.12)

目次:

1. はじめに

 サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。

 それは単に俺の家にとって文化的な意味でのクリスマスが新幹線という近代文明の象徴が影も形も無かった頃の東京-大阪間ほども縁遠いものだったために12月24日というのは単に"寿司とケーキが食べられるイベント"くらいの認識しかなかったからであり、別に俺がサンタを信じているか信じていないかを常日頃から思索するようなスレたガキだったとか賢しいお坊ちゃまだったとかそういうわけではない。

 その証左に、と言うにはあまりにも恥ずかしい記憶だが、かわりに俺は小学校をあがる頃まで本気で『錬金術師』と名乗る技術者がいて身の回りの構造物の形を自在に変えたり壊したりしているのだと信じていた。もちろん俺の周囲にはそんな連中は影もなかったがこの世のどこかにはもしかしたらいるのだろう、いやむしろ絶対いてほしーという思考を持っていたことをおぼろげながら覚えている。だって当時の俺が読んでいた漫画や観ていたアニメ、めちゃくちゃ面白かったしな。

 ここまで書いただけではただガキの頃の俺の頭がふつうよりちょっとおめでたいだけになってしまうので注釈を入れさせてくれ。これだけははっきりと思い出せるが、某錬金術師にドハマりしてた頃の俺は親父に向かって興奮しながらも率直に「この技術は本当に存在するものか?」と聞いた。そしたら子供の頃は畏怖の対象でしかなかった親父は普段見せないような違和感のある薄ら笑いで「世界のどこかには本当にあるんだよ」と返しやがった。親父の言うことなら信じるしかない。しょうがないだろ?

 今なら少しはわかる。自分でもよくわかってないであろうに12月24日の夕食をわざわざ謎に豪華にしたり、現実とフィクションの境界がまだわからず暴走しているイタイ自分のガキをなだめたりしていた親父も大変だったんだなと。なるほど、親の愛ってのはそれを受け止める側が成長して初めて理解できるものらしい。

 その後のことはあまりにも本題とかけ離れるため割愛するが、そんなこんなで自我のおもむくままに暴走しては親や学校関係者に物質的損害を出したり精神的困惑をもたらしたりしながら小学校を卒業し、中学生になった俺に人生の転機が訪れた。

 2023年現在まで続いているのかはたまたもうとっくに途絶えた文化なのかはわからないが、俺が中学生の頃には学校でときどき色々な本の紹介が載ったペラ紙と封筒が配布された。これは何かというと、リストの中から欲しい本を選んでその旨を記入して封筒の中に現金と一緒に入れて担任まで提出するとのちにその本が学校まで届くという画期的なのか回りくどいのか判断に困るシステムである。

 今となってはそれが読書に親しんでほしいという市や学校の施策だったのか当時としても苦境だったであろう町の書店の必死の売り込みだったのかは定かでないが、俺は小学生の時からこの方式でよく本を買っていた。その頃すでに『エルマーのぼうけん』や『ああ無情』などの児童文学史に大きく名を残す名著に触れていた俺はさらなる感動を求めていた。

 いったい世界にはどれだけの本があるのか。よく「学校の図書室の本を全部読んだ」などという子供の本好きを喧伝する際に使われがちなほぼ嘘としか思えねー定型句もあるが、実際のところ俺はどれだけあるか数えることも不可能な数の本の大半をその表紙を目にすることもできず人生を過ごしていくんだろうな。

 そんなことを頭の片隅でぼんやり考えながら俺は書影と紹介文つきのA4コピー紙に目をやり――、

 『涼宮ハルヒの憂鬱』と出会った。

 

2. 2009年の感想

 出会ったとは言うものの、正直そんな昔のことはほとんど覚えていない。だって別に律儀に日記に書いていたわけでも読書感想文に書いたわけでも俺が実は世界にも稀な超人的な記憶力を持っている人間であるわけでもないしさ。だから内容に関する当時の感想は覚えてねー、ただ衝撃的だったということだけは覚えてるみたいな薄っぺら過ぎてまるで一般人の映画の一言感想をまとめたCM映像的な情けないことになってしまう。

 しかしナントカ記憶って言うのかはわからないが、読んでいた本の感想は覚えていないがその本を読んでいた状況のことは覚えているから人間の脳ってのはよくわからないもんである。

 ここで話がプロキシマケンタウリほどにまで飛んでしまうが、俺の通っていた田舎の中学校は生徒数が少なく常設の陸上部が無かった。そのかわりどうしても自分が陸上競技をやりたいだけの妙にやる気のある体育教師が大会前に期間をとって特設の陸上部を開き、各学年各クラスから独断で生徒を勧誘して練習と大会への参加をさせていたようだ。

 そんなわけで俺は件の体育教師からおだてられ、たいした実力があるわけでもないのにほんの一時期その特設陸上部の活動に参加していた。中学生の頃の俺はやたら体力だけは有り余っていたらしい。今じゃ見る影もないけどな。

 そのうち陸上競技の大会が県内で行われることになったんだが、場所は俺たちの学校から電車で一時間以上もかかるような所だった。今でもここだけは思い出せるぜ。同行するのは他クラス他学年から選ばれたほとんど関わりもない連中と引率の教師、長時間かけて見知らぬ土地へ行って緊張で吐きそうになりながら競技に参加する。そしてパッとした成績も残すわけでもなく大会を終え、また長いことかけて電車で帰る。はっきり言ってかなり憂鬱だった。

 その帰りの電車の中で他のメンバーから少し離れたところで読んでいたのが何あろう『涼宮ハルヒの憂鬱』だったわけである。その頃はスマホなんてものも無かったし、賢しい俺は電車内で時間を潰せるものをちゃんと用意していったのさ。そんなことをしなくても俺以外の奴らは大会後どこにそんな元気が残っているのか無限に楽しそうにおしゃべりをしていたけどな。心身ともに疲れ切っていた俺にはキツ過ぎるほどのオレンジ色の西陽がデカい車窓から容赦なく差し込んでくる光景が今でも脳に焼きついている。

 なんとも不思議な取り合わせだが、俺にとって一番古い辺りの『涼宮ハルヒの憂鬱』の記憶はそんな少年の日の嫌な思い出とセットになっている。確か既に何度目かの読み返しで、ちょうど長門がマンションの自室で無限にトンチキな宇宙話を展開していた場面だったような気がする。

 

3. これまでの13年間

 ここでふと立ち止まって冷静に自分の文章を読み返してみると我ながら呆れてしまうほど内容の無いどーでもいい昔話になってしまっていた。申し訳ない、この章でもう少し俺の個人的お気持ちを書き連ねてその後からようやく本題になっていく予定だからなんとか許してほしい。

 初めて『涼宮ハルヒの憂鬱』に出会ってから俺は順当に続編を読み続け、2011年06月15日発売の『涼宮ハルヒの驚愕』については発売日にオフクロの運転する車で本屋に連れて行ってもらって買ったのを覚えている。そういやあれも確か陸上大会の帰りだったっけな...。

 その後はTVアニメを観たり映画『涼宮ハルヒの消失』を観たりしながら中学から高校への移り変わりの時代を過ごしていたのだが、この頃には俺は涼宮ハルヒのことが完全に好きになっていた。とは言ってももちろん俺はハルヒキョンには早く結婚してほしいしできることならその式の末席に加わりたい派閥ではあるが、それとは別に思春期の真っ最中に直撃したハルヒの思考や振る舞いにはある種の共感や羨望を覚えずにはいられず、俺自身の意識が作品に没入するほど夢中になってしまったわけだ。見た目もかなり好みだし。

 しかしそこから先は広く明らかになっている通り、『涼宮ハルヒの驚愕』発売から9年以上も次巻が出ることはなかったが俺はその間もハルヒを好きであり続けた。季節が移ろい一周して何度また春がやってきても新巻が出ることはなかった。まるで世界からハルヒが消え去ってしまったかのような気さえしたが、その実俺は別の意味で安心感を覚えていた。

 それはまったく進展がないことで逆に自然にハルヒを好きでい続けられたからだった。世の中のオタク連中のようにせわしなく「嫁」だの「ママ」だの言い続ける必要がなかったからだった。初めて出会った中学生の頃のように、心の奥底で変わらず楽に自然体にハルヒを好きでいられる。俺にとってハルヒは『いつまでも待たせてくれる最高の女』だったのさ。

 ――などととここまで言っておいてなんだが、あれは確か2018年辺り、俺が大学4年生の頃にはなんとその熱は完全に冷めていた。理由はきっと特にない。ただ単に年月が経ち過ぎたからだろう。かと言って別に他に熱烈に好きなキャラクターがいるような時分でもなかったから当時の俺は本当に何事にも興味のない年頃だったのだろうよ。

 だから2018年に発刊された『ザ・スニーカーLEGEND』の短編はギリギリ買って読んだが、その後2020年11月25日に発売された最新巻『涼宮ハルヒの直観』は買ってすらいない。触れ込みを読んだ感じなんとなく「これたぶん話の本筋は進まねーんだろうな」と思っちまってぐだぐだしているうちにあれよあれよと月日は過ぎ去ってしまっていた。

 いったいどうしてこうなったんだろうね?

 

4. 2023年の感想

 そしてようやく現在の話であり本題の『涼宮ハルヒの憂鬱』の読後感想の話に入らせてもらう。実のところ2023年6月6日が刊行の20周年にあたることは昨年から意識していたが、だからと言って特に何か準備するでもなくいつもとまったく変わらぬ凡人ライフを過ごしてきた。

 一応この近辺に合わせてまた読み返してみるかとネットショップで探し、首尾よく新たに一冊買い直したのである。元のスニーカー文庫版も思い出やら挿絵やら込みで魅力的だったが、せっかくだから今回は2019年に発売された角川文庫版を買ってみた。この時期に『憂鬱』~『驚愕』までがすべて新装で出ることは知っていたが、この頃は前述のとおりまったく関心を失っていた時期であり当然ながら買うことはなかった。

 今回久し振りに読み返してどうしても消化したいことが3つあったので、この先何年後かにまた自分で振り返る意味も込めて書き残しておくことにする。人の記憶ってのは時が経つほどに美化されていってだいたい当てにならないというからな。

 なお以下の文章は『涼宮ハルヒの憂鬱』を元に書いたものであり、その後の続編の内容はほとんどというほど忘れてしまっているため事実の認識誤りもあるかもしれない。そこはすまん。

1. ハルヒは『不思議探索パトロール』に何を願ったのか

 まさに「何が探索だ」という話だが、作中中盤にSOS団全員で休日の市内を散策する『不思議探索パトロール』というイベントがある。このシーンは誰がどう読んでも"普通の高校生の普通の幸せ"を書いているものなわけでしかもわざわざ5人をランダムに2つの組に分けさせている。そこまで場面を整えておきながら2回の組み分けでハルヒキョンが一緒になることはなかったんだから話がややこしい。

 俺だってすぐに引っかかったさ。わかるだろ? もしハルヒキョンとぶらつくことを一番に望んでいたってんなら、ランダムな組み分けの抽選でわかりやすくキョンと二人組になってどこへなり"探索"へ繰り出すことになっていたはずだ。

 クジの結果、今度は俺と長門有希の二人とその他三人という組み合わせになった。

「・・・・・・」

 印の付いていない己の爪楊枝を親の仇敵のような目つきで眺め、それから俺とチーズバーガーをちまちま食べている長門を順番に見て、ハルヒペリカンみたいな口をした。

 それとも何か? せっかくの休日を最後にやってきたキーパーソン・古泉一樹との面談に充てたかったということなのか? それはキョンとの散策よりも優先されることようなことなのかね。いや別に俺も古泉は良い奴だとは思うけどな。

 答えはノーだろう。昔読んだ時には見逃していたんだろうが、流石に今ならすぐわかった。上記の引用文の直前に普通に正解が書かれている。

 無造作に手を一閃させ、古泉が、

「また無印ですね」

 白すぎる歯。こいつは笑ってばかりいるような気がするな。

「わたしも」

 朝比奈さんがつまんだ楊枝を俺に見せた。

キョンくんは?」

「残念ですが、印入りです」

 ますます不機嫌な顔で、ハルヒ長門にも引くようにうながした。

 明らかにハルヒキョンの反応に対して不機嫌になっている。つまりハルヒは「キョンと一緒に行動することができないこと」に不機嫌になったのではなく「キョンハルヒと一緒に行動することができないことを微塵も残念がらないこと」に不機嫌になったんだろう。

 そう考えれば俺の中の個人的もやもやもようやく整理される。世間の大半の人間にとっちゃ今さらって話かもしれないが、こういうのは自分で考えて納得するのが気持ちいいもんだから許してくれ。ハルヒは『不思議探索パトロール』に何を願ったのか。それは「"学校の外"といういつもと異なる世界において、新鮮な気持ちでキョンの率直な姿を見たい」ってところだろう。多分な。

2. なぜクライマックスの舞台が学校であったのか

 「学校が舞台の物語なんだから学校で話が進んで学校で話が終わるのはあたりめーだろ」なんて思われるかもしれない。これについては我ながら納得できてしまうので特に何も言えない。終。

 なーんて自問自答で終わらせてしまうのはあまりにもマヌケなので続けるが、最終局面の閉鎖空間と化した学校のシーンは本当に最高だ。孫にも語り継ぎたいくらいだと言ってもいい。それほどの名場面だと俺は思う。

 実のところこのチャプターの答えはかなりストレートなもんだと思う。なぜクライマックスの舞台が学校であったのか。それは「ハルヒにとって学校が世界のすべてになっていたから」ではなかろうか。

 自分の話に置き換えればある程度は納得できる気がするが、今振り返れば俺もそうだったんだろうと思う。特に高校生の頃には学校や部活が思考の中心だったし、そもそもそれ以外の時間自体が少なかったしさ。

 だけど果たしてその渦中にいる現在進行形のうら若き学生諸君がどう思っているかはわからない。中で暮らしている奴らはそれが当たり前だからそういう意識は無いのかもしれんしな。ぜひ当時の俺に聞いてみたいもんだ。

 そんなわけだから流石のハルヒにとっても学校生活が世界のすべてだった、正確には世界のすべてになっていったんだろうよ。ああ見えてハルヒも案外常識的だってのは古泉も言ってたからな。

「彼女は言動こそエキセントリックですが、その実、まともな思考形態を持つ一般的な人種なんです。」

 常識的かつキョンがいたからこそあくまでベースは学校生活に置きつつ、周りから宇宙人やら未来人、超能力者を自分の方へ引っ張ってきたように思える。逆にムー大陸かなんかがこの時代になって突如海面に再浮上してそこがハルヒ的世界の中心になられても迷惑なわけだが。

 以上を踏まえればクライマックスで閉鎖空間が学校敷地内を覆うように発生したのも、光の巨人が校舎を破壊していたのもずいぶんエモく感じては来ないだろうか。あれはおそらくハルヒにとっての『世界』の再確認とその破壊の確固たる意志表明だったんだろうぜ。この辺に関しては「まあそうなんだろうな」とは思いつつ、改めて読んでいたく感動したからどうしても書きたかったのさ。

3. 『異世界人』とは誰なのか

 最後の最後に有『ハルヒ』史以来最大にして最深と言われている、逆に言えば最もベタベタな話題になってしまうがこればかりはもう俺はとっくに観念しているためしょうがない。とは言ってもその件についてはさんざあらゆるところで考察がされているんだろうが、2023年現在においても俺はそれらをほとんどまともに読んでいないし別に公式に言及されたわけでもない(よな?)のでここはフレッシュかつゼロベースで気ままに好きなことを書いていきたい。

 では異世界人』とは誰なのか。それはキョンである。......などと書いてしまうとあまりにも素朴かつ今さらな結論で呆れられてしまうかもしれない。わざわざもったいつけといてそりゃないぜ。書いた俺だってそう思う。ましてやこんな単純な文章なら小中高大の学生生活を経てついぞ理解することができなかった英語でだって書けそうな気がする。無理か。『異世界人』の単語がわからん。

 この手の『考察』というものにおいて俺は作者が言っていないことについて究極的には証拠なんてのは無いと思っているクチなのでこれはあくまで印象ということで好き勝手書かせてもらうが、あの作中は俺たちがいる世界とは異なる世界、つまり異世界なんじゃないかと思う。いやライトノベルなんだからそんなこと当たり前だろ、はっはっは。いやーよかったよかった。

 ......違った。俺が本当に言いたいのはそういうことじゃない。『涼宮ハルヒの憂鬱』はかつて俺たちのいる世界とともにあり、『3年前』の件によって異世界へと変貌したんだろうってのが今回俺の抱いた印象だ。

 キョンは俺たちと変わらない常識を持った状態で『3年前』を迎えるも当時は特に何も無いまま通り過ぎ、その後も自分の身に何か宇宙的未来的超能力的な出来事が降りかかることもなく現在に至りやっとめでたく『異世界人』としてハルヒSOS団団員と出会った。世界は『3年前』を経てそれ以前とはあらゆる観点で異なっていたが、キョン含め大多数の誰もが幸いにも気づくことはなく変わらぬ日常生活を現在まで送っていたのである。こうは考えられないもんかね。

 もちろんここで「実は谷口やら国木田やら他の一般人も異変に気づいているのではないか」とか「キョンだけが実はアブナいクスリをやっていて可哀想なことになってるんじゃないか」などというユカイな陰謀論を開陳するつもりはないが、さまざま複雑な問題を削ぎ落してありていに言えば『"一般人"という異世界人』がキョンに与えられた役割なんじゃねーかって考えは今回ちょっとはアリのような気がした。

 逆を言えば俺たちの日常世界に『キョン』はいない。それは彼が涼宮ハルヒを中心に発生し展開した超自然的超科学的超現実的世界がいかに『常識』と異なっているかを喧伝する装置だからであり、ひとたび現実世界に彼を引き戻し放流してしまえばもう姿かたちは見えなくなってしまう。キョンハルヒなくして存在し得ず、そしてキョン涼宮ハルヒ的新世界を受け入れて"異なることの喧伝"をやめたとき、ハルヒもまたその形を失い消滅するだろう。

 

5. おわりに

 以上が『涼宮ハルヒの憂鬱』刊行20周年を機に再読しての感想になるわけだが、これだけ誰か一人にでも読まれたくないこっ恥ずかしい文章を書いたのも久し振りだ。ブログで書いておいて今さら何言ってんだという話だが。これが2023年に書く内容かよ......。

 それとは別にやはり読み返して良かったとは思う。よくある話で、昔に体験したことはどんどん思い出補正がかかっていくために記憶の中では最高のものだったはずが実際は驚くほどにたいしたものじゃなかった、なんてことは読書においてもきっと同じだろう。俺にとって今回一番の収穫は『涼宮ハルヒの憂鬱』が今読んでもえらく面白い小説だということがわかったということだ。

 今回を機にまた昔のように色んなジャンルの本を読みたくなった。『ハルヒ』に夢中になっている傍らで今まで素通りしてきた人気作は数えきれないほどあっただろうからな。改めてそういう意識でもって周りを見渡してみれば、実はそこに退屈な日常なんかはなくて新鮮で魅力的な世界が無限に広がってるに違いない。とりあえず手始めに、同作者の『学校を出よう!』でも読んでみるのもいいかもしれないと俺は思っている。

うつし世に『きさらぎ駅』を求めて~遠鉄電車に乗って全線沿いを歩いてみた~(2023.01.09)

1. はじめに

 突然ですが、私は『きさらぎ駅』が大好きです。『きさらぎ駅』は2004年1月8日に2ちゃんねるのオカルト超常現象板で語られた怪奇体験談の中に出てくる鉄道駅のことで、その概要は日常生活の中で何気なく電車に乗っていた投稿者が現実に存在しない『きさらぎ駅』に降り立ちその後次々と奇怪な出来事に遭遇していく、というものです。

 「気のせいかも知れませんがよろしいですか?」から始まる実況形式の体験談は投稿者・スレッド参加者間での相談や質疑応答とともに進行し、緊迫感をはらんだリアルタイムのやりとりはのちに読んだ者に対しても独特の魅力を感じさせるものとなっています。ここでは詳細については割愛しますので概要や総評についてはきさらぎ駅 - Wikipediaを、内容についてはなんか「きさらぎ駅 原文」とかで適当に調べてください。ネットロアとはそういうものです(?)

 

 2004年の最初の一件(以下、『原作』という)で初めて『きさらぎ駅』というものについて語られて以来、2例目、3例目として実際に現地に到達する者が現れる、現実の出来事としての信憑性が考察される、『きさらぎ駅』を題材にした創作物が発表されるなど、2022年1月9日の現在に至るまでこの件に関する話題がちょくちょくさまざまな形で取り上げられては好きな人々の間に伝播していきました。

 私はこれまで原作はもちろんその後のいくつかの体験談、ゲームや映画などの二次創作や原作にインスピレーションを受けたとされる別作品、きさらぎ駅とはまた別の『異界駅』体験談などをフォローしてきました。今となっては『きさらぎ駅』は一怪談の域を超えてジャンルとして定着してしまったため、全体的・部分的含めての関連コンテンツは業界横断的に非常に多様に広がっております。そしてそのように広がったものをそれぞれ扱う動画群もかなりの数を観てきました。

 最近は停滞気味ですが、特にニコニコ動画に投稿されている『きさらぎ駅』関連動画は今まで300本以上観てマイリストに追加してきました。どれも非常に興味深い動画ばかりですので良かったらご視聴ください。(リンク:きさらぎ駅関連リスト

 

 そのような中、私自身疑問に思うことがあります。それは"なぜ今ハマっているのか?"ということです。記憶は曖昧ですが、私が初めて『きさらぎ駅』の存在に触れたのはおそらく2009年頃です。原作の初出が2004年ですから当時としても古めの話題でしたが、現代の感覚にすればインターネットに触れるのが遅めだった中学1年生の私にとってはもうキラキラの最新・最深知識(Welcome to Underground)だったわけで、その辺りをきっかけにネットの俗説や都市伝説にハマっていったことを覚えています。

 もちろんそこから10年以上全力で『きさらぎ駅』にハマり続けていたわけではありませんが、近年また暇な時に昔の2chコピペを調べたり映画化の件(映画「きさらぎ駅」公式サイト)もあったりしてにわかにマイブームになっていました。

 そうしてひそかに独りで盛り上がっているうちに私はネットの知識を取り込むだけでは我慢ができなくなり、ついに「どこか『きさらぎ駅』に所縁のある場所へ行きたい!」と思うようになりました。

 ここからがようやく本題です。そのようなフラストレーションを抱えた私は、今回とりあえず"『きさらぎ駅』のふるさと"ともいうべき静岡県浜松市へ行くことにしたのです。

 

 

2. 『きさらぎ駅』と遠鉄電車と私

 原作において投稿者が乗っていた電車とは一体なんなのか。これは実は明記されているものではないのですが、投稿者が「新浜松からの電車」「某私鉄」と語っていることからこれは静岡県浜松市にある新浜松駅-西鹿島駅間を走る遠州鉄道であったことがわかっています。

 "原作を重要視するオタク"を自認する私としてはここはぜひともフォローせざるを得ません。鉄道知識ほぼ0ではありますが、今回人生で初めて手段ではなく目的として電車を利用することを決めました。

 原作の舞台が遠州鉄道であることはわかりました。そして乗車時間が23時40分であることも言及されていますので、それに合わせて私も23時40分に乗車することにしました。("投稿者の書き込みと乗車の時間関係に齟齬がある"という議題もありますが本件では触れずにいきます)

 

 ここでもう一つ、計画に個人的に好きなエッセンスを加えることとしました。話が少し飛びますが、ニコニコ動画に原作を元にして作られたクトゥルフTRPGシナリオ(以下、『TRPG版』という)のプレイ動画が投稿されています。

 この動画は非常にクオリティが高く、また作成されたシナリオ自体がとても面白いことからその後さまざまな方からプレイ動画が投稿されました。ゲームの特性上、大筋は共通していても動画ごとにかなり展開が変わっていくので無限に観られる系コンテンツ群としてかなりおすすめです。

www.nicovideo.jp

 そのようなTRPG的な要素も考慮するのであれば、私自身の設定についても考える必要性があるのかなと思いました。なぜ私はその日その時間にその電車に乗っていたのか。少しだけ考え、原作に加えてTRPG版のアプローチにも難なく順応する筋書きを導き出します。

 結論として、私は2023年1月6日(金)に仕事を休みました。そして1月6日の夕方には普段通りのスーツ姿で手提げ鞄を持って新浜松駅の前に立っていました。

 この後23時40分の乗車前に駅周辺の居酒屋で飲酒をするのですが、そこでようやく私の『金曜の仕事帰りに酒を飲んで帰りの電車(総武線)に乗っていた一般人の俺が気づいたら大変なことに巻き込まれていた...いったい何が起こっているんだ!?』という物語が完成するのです。

 本当は原作と同じく1月8日に合わせたいところでしたが、2023年の同日は日曜日のため私が考えた『金曜日の仕事帰りに~』という謎設定と合致しなくなってしまうため諦めました。加えて他にも金曜日に行きたかった理由はあるのですが、話が前後してしまうので詳しくは後述とします。

 

 

3. 実際に行ってみた

 新浜松駅に到着した後、私は目的の"23時40分西鹿島駅行き"まで当初の計画よりも大幅に時間が空いてしまったことに気づきました。どうしよう、何もすることがない。困った私は予定の時刻よりもかなり前に一度遠鉄電車に乗ることにしました。

 結果的に終電前に一度乗ることができて良かったです。私は『きさらぎ駅』のモデルとされているさぎの宮駅で降り、ホーム上や駅周辺を探索しました。

 実際に現地へ行ってみた後でも、未だになぜさぎの宮駅が『きさらぎ駅』のモデルとされているのかピンと来ていませんがそこはまあ良しとして一つの聖地巡礼を達成してきました。駅に隣接してマツモトキヨシがあったり、少し行くと街道沿いに色々なお店が立ち並んでいたりするかなりいい感じの市街地です。大学時代に住んでいた町を思い出しました。

 

 その後はまた新浜松駅へ戻り、居酒屋に行ったりスタバに行ったりして時間を調整してから終電を待ちました。"終電を待つ"という行為自体初めてだったのでそこも謎に新鮮でした。

 23時40分が近づきホームで待っていると、全体が赤い車体の遠鉄電車が入って来ました。目立つ綺麗な赤色がシンボルらしいのですが、その他に駅員の制服や駅内の表示などは緑色でした。

 ここで前項での『なぜ金曜日にしたかったのか』という話に戻ります。原作とTRPG版に共通して、現在の位置から車両の端へ運転士を見に行く描写があるのです。このとき明確に現在何両目にいるのかという話は無いのですが、個人的に「その場からパッと確認することができず、ある程度の距離があるところまで歩いていきたい」感があるので「自分がいるのは2両目か3両目だろう」という結論に至りました。

 そしてネットで下調べをするうちに遠鉄電車は普段は2両編成で金・土曜日だけ4両編成になるという情報を入手しました。このことから金曜日に行って電車の真ん中辺りで「ハッ...いつの間にか寝ていたのか...」とすることにしたのです。

 しかしそんな私の妄想はあっけなく打ち砕かれる形となりました。ホームに入ってきた電車は2両編成だったのです。えっ...4両は...? 困惑する私を置き去りにして次々と他の客が乗り込んでゆきます。

 その後再度調べたところ、基本的に4両になることはなく4両になる時は事前に公式サイトにてアナウンスがされるようです。以前は定期だったのかもしれませんが、詳しくはよくわかりません。その辺りは別に...まあいいかという感想です。2両でも丁度良いくらいの混み具合だったし、改めて電車見てみたら2両でも長っ、ってなったし(別問題)

 そのようなわけで終電にもかかわらずかなり乗客が多く車内の様子を写真に撮る気にも運転士の様子を見に行く気にもなれなかったため、私は完全に「地元の会社員です」みたいな顔をしてゆったりと背もたれに身体を預けながら窓の外の町並みを眺めていました。事前の情報通りほぼ市街地です、別に草原地帯とかではありません。

 電車は続々と乗客を駅へ送り届けてゆき、ついに終点の西鹿島駅へ辿り着きました。この頃には流石に車内も寂しくなっていましたが、それでも私の他に5、6人はいたのでいかにこの路線が地域の人々にとって必要とされているかを感じられました。

 駅を出ると迎えの車が来ている方、待ち構えているタクシーに乗り込む方、徒歩で離れていく方などそれぞれでしたが、みなさん自分の家へ帰っていくことは共通していたと思います。そう、私ひとりを除いては。

 その日浜松に降り立った時からずっと気になってたんです。なんて明るく透き通った夜だろう。夜空には、ただひとりきりの月がありました。

 

 

4. 闇夜に男ひとりぼっち

 原作では詳細不明のきさらぎ駅へ迷い込んだ投稿者が線路の上を辿って帰宅を試みることから話が展開します。深夜に山中を行くことの心細さはどれほどのものか、想像し難いものがあります。

 というわけで、私も歩いてみることにしました。既に日付が変わっている1月7日0時30分頃、遠州鉄道下り側の終点・西鹿島駅からもう一方の終点・新浜松駅までの約19kmの道のりを歩き出しました。

 幸いにも遠州鉄道は原作と違いひらけた平地を走っているため、実際には線路上は歩かずだいたいは並走している周辺の道路を歩いて行きました。トンネルも無いしね! もしこれが本当に山中を貫く路線であったら、どこを歩いたら良いのか困って駅から動のもためらわれるだろうなと思いました。普通に怖いし。

 あまりに暗く、寒く、静かな行程。歩く間に色々のことを考えました。どのような人が『きさらぎ駅』を書いたのかなとか、どのようなことから着想を得たのかなとか、新浜松駅までめちゃくちゃ遠いなとか...。

 何度も書いていますが路線のある浜松市天竜川沿いの平野に発展したけっこうな市街地で、一部かなり広範囲が畑となってる区域はあるものの原作にあるような「何もないところ」ではありません。

 しかし逆に留意する必要があるのかなと思ったことは、掲示板への実況投稿である性質上そこまで詳細な状況描写がされているわけでもないということです。私自身先ほどから「山中」とか書いていますが、原作には「山中」という表現は出てきませんし、むしろ「草原とか山が見えてる」場所ということは実在の遠州鉄道沿線の雰囲気に近い平原にも思えました。

 つまりこれは完全に私自身のことですが、"後から少ない原作情報を元にヤバめのロケーションを想像したり作り上げたりしている面もあるのでは"などとも考えていました。この点については実地を歩いてみて再度実感したところであります。

 あとは散々言われていることなのでわざわざ書く必要も無いことですが、遠州鉄道の路線上にトンネルはありませんでした。伊佐貫トンネルとはいったいなんなのか...。これについては現場はもう異世界にあるので遠州鉄道とは無関係、ということで容易に説明がつきます(完全論破)

 その代わりにいい感じの高架下はありました。

 

 その後なんやかんやあって5時間近くかけて出発点の新浜松駅まで帰ることができました。普段まったく歩いていないせいで両脚がバキバキになりましたし、とにかく革靴の底とアスファルトが硬過ぎて足裏が取れるほど痛かったです。でもあたし生きてる...生きて元の世界に戻れたんだ...!

 これにてただやりたかっただけの謎企画は無事に完遂できました。

 

 

5. おわりに

 実際にはギリギリ無さそうなことや100%無いことを捏造するのがオタクの性癖(失礼)ではないかと感じることがあります。今回私がやったこともそのような部類のものの一つであり、決して誰かに話すことはできないにしても個人的にはやって良かったなと思います。

 『きさらぎ駅』へ行くことはおそらく私にはできませんし、遠鉄電車も別に普通の便利な私鉄でその沿線も閑静で平和な郊外でした。しかしながら、その場へ『きさらぎ駅』を求め特別の想いをもって訪れることで自身の考えを整理できたり、Web検索だけでは得にくい情報を得られりしたのはひとつの収穫でした。

 そして今回、実際に浜松市を歩いてその景観を眺めてきたことで『きさらぎ駅』について以前より頭の中にあったある思念がより強さを増しました。それは『俺達の中の"最強のきさらぎ駅"、見つけたくなってきたな...』というものです。

 その願望を叶えるかどうかはわかりませんが、今回の旅の中でその糸口になるかもしれないものをひとつ目にしてきました。遠州鉄道終点の西鹿島駅、その駅内にあった看板は

天竜浜名湖鉄道乗換口』

ネットで調べた限りでは遠州鉄道よりも更にきさらぎ駅がありそうなロケーションを走っている天竜浜名湖鉄道遠州鉄道の終点と天竜浜名湖鉄道が連絡しているということはつまり、"新浜松駅を出た電車がさまざまな超常現象の影響を受けてそのまま天竜浜名湖鉄道を走っていった"というのもありえない話ではないのです。

 以上のように、原作をめぐる一つの旅は終わったものの今後に繋がり得る鍵を発見することができました。果たしてその鍵を使うのはいつになるのか。俺達の『きさらぎ駅』はこれからだ――

【読書感想】筒井康隆『堕地獄仏法/公共伏魔殿』を読みました(2022.01.25)


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1. はじめに

 昔はよく本を読んでいたのですが近年はまったく読まなくなりました。理由はわかりませんが、おそらくスマホがあったり時間がなかったりすることが一因ではないかなと思っています。そのような中、かなり久し振りに一冊の本を読み、しかもとても面白かったので今回は感想を書いてみようと思いました。子供の頃は読書感想文の書き方がわからず泣くほど嫌いでしたが、流石に成人して久しい今なら、そしてブログでなら気軽に書けるのではないかな~という感じです。

 

 

2. 経緯

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 今回私が読んだ本は筒井康隆 著/日下三蔵 編の『堕地獄仏法/公共伏魔殿』です。発売日は 2020年04月16日。もともと筒井作品はいくつか読んだことがあり、特に『文学部唯野教授』『モナドの領域』にはいたく感激した経験があるので宣伝のWeb記事を見かけてすぐにスッと買っちゃいました。

ddnavi.com

 同時に当時アニメ化した『富豪刑事』も買い、こちらはすぐに読んでしまいました。"事件が解決した瞬間にどこからともなく「おめでとさん。おめでとさん」と言いながら躍り出てくる署長"が好きです。しかし『堕地獄仏法/公共伏魔殿』の方は買ってから8か月以上も放置し、2022年に入ってからようやく読みました。寝かせた理由はよくわかりません。

 

 

3. 感想

 本書は筒井康隆の初期傑作短篇16作を収録」(帯より)とあるように、なんと1冊に16本もの小説が入っています。結論から言うと"傑作集"なので流石に全作面白かったのですが、16作品全部に触れていくとかなり長くなりそうですし、おそらく私の集中が続かないと思います。そのため、今回は収録作品の中から個人的に特にヤバかった作品を5つ選んで軽いあらすじの紹介と感想文を書いていきたいと思います。「ヤバかった」とか言ってるあたり多分もう疲れてます。よろしくお願いします。

 

1. いじめないで

 一本目。「人類がほぼ滅びた世界での、人間と高度に発達したコンピュータとの対話」というまあまあありがちな内容な上、書かれた時代が時代だけに流石に世界観とコンピュータ側の描写が古過ぎた。…...とは思ったが本作が1964年1月の発表ということを考えれば多分めちゃくちゃ斬新だったんだと思う。ごめんなさい。その辺りの包括的な歴史について学んだことがないため定かでない。

 

 そんなことより私が驚き興奮したのは最終盤の部分にあった。今でいう"人工知能"を"意志を持たされた鋼鉄"と表現し、「それらの長らく暗く静かな地中にいた鉱物が地上に引っ張り出されて自我を持たされたとき、最初に願うことは元々いた沈黙の世界への回帰であろう」という主人公の想像が続く。その発想は無かった。私は素直に「マジか! なるほど!」と思った。コンピュータとの対話の中で主人公の男がその本質を悟った直後、良いところで物語は突然に終わってしまう。詳細は省くがこの終わり方がまた良かった。筆者の実験的な主張(偉そうな表現)とSFとしての物語の結末がしっかり合致させてあって「うわーすごい!」となった。これを一つ目に持ってくるの、最高の掴みでは......?

 

2. しゃっくり

3. 群猫

4. チューリップ・チューリップ

5. うるさがた

6. やぶれかぶれのオロ氏

7. 堕地獄仏法

 二本目はタイトル作品から。国民の言論活動を著しく制限したり、その他社会を深刻な混乱に陥れたりしている宗教政党・恍瞑党が政権を握った世界を生きる作家たちの話。作中にはどこからツッコんで良いのかわからないほどに禍々しい恍瞑党の活動が詳細に描写されているが、筆者がその時々の社会問題を痛烈にパロる作風であることはこれまでの経験上既に承知しているので多分その頃現実でもなんかあったんだと思ったこ、う、め、い......とう......ですか? Wikipediaなどで軽く調べてみたが僕には実際にどのようなものかよくわからなかったなあ(すっとぼけ)

 

 終盤に差し掛かるまでの世界があまりに破滅的だったため、逆に「ここまで前フリを効かせられたからにはきっと最後は大逆転のハッピーエンドになるんだろうな」となんとなく思いながら読んでいたがまったくそんなことはなかった。恍瞑党が支配する世界では信者でもない主人公を救ってくれる神さまなんて当然いなかったよ(納得)。あっさりとしながらもガツンと来る幕切れは読者に強烈なとりとめのなさを感じさせ、その悲惨な結末は突如静かな深夜の自室に投げ出された私の脳内にしばらくの間残り続けた。タイトルになっているだけある重厚感ある作品だった。

 

8. 時越半四郎

9. 血と肉の愛情

10. お玉熱演

11. 慶安大変記

12. 公共伏魔殿

 三本目。もう一つのタイトル作品。各家庭から『受信料』を徴収する謎の『公共放送』の本拠地に乗り込む男の話。とてつもなく大規模な"牙城"には一般に公表されていない地下フロアがあり、そこには絶対に表沙汰にできないおぞましい秘密が隠されていた――。いったいNaniHKなんだ......。というかこの頃(67年発表)から受信料云々言われていたのだなあ。勉強になった(白目)。

 

 この作品の感想を一言で言えば「怖かった」である。小並感だろうがしょうがない。だって怖かったんですもの。短篇という形態の特性上、この物語に出てくるあらゆる深刻の問題は回収されず投げっぱなしで終幕を迎える。特に重大な一つのことについては一応結末が言及されて終わる("解決した"とは言っていない)のだが、その他の『公共放送』を取り巻くいくつものホラー要素は最期まで特に回収されない。つまりあの地下の魔界は今もそのまま現存しているということ......?と考えるのは少々飛躍しているが、あまりに高い描写力と世界観の現実性によって自身の意識が引き込まれ、一瞬そのように錯覚してしまう怖さがあった。リアルとフィクションは別のものだよ!

 

13. 旅

 四本目。普通に読んだら頭がおかしくなりそうだった(爆)。重大犯罪を犯したらしい主人公ら4人が国家組織の管制下に置かれ、意識は永遠に続くっぽいシミュレーションに利用、大脳以外の肉体は冷凍保存という状態になっている、多分。冒頭では4人は昔話『桃太郎』の主要人物として登場し、それぞれの生前?の意識を持ち合わせながら担当キャラクターをロールプレイし物語中で死んだら次の物語へ、という風に進行していく、おそらく。不確か過ぎる説明で申し訳無いが、なんか本作だけは正直難しくて雰囲気だけ味わいながら読み進めた感があるのでしょうがない。

 

 2,3回読んだが全容を把握するのは厳しかったが、とりあえず時間的・空間的規模が大き過ぎて怖いSFということだけはわかった。イメージとしては現代オタクみんなが待望してやまないフルダイブ型のVRMMORPGみたいな話、それが格調高くも力強い文章で表現されています。終盤はどうやら4人それぞれの生前の記憶が破滅的に混濁したようで、文章の流れが破綻する。この場面はのちの『パプリカ』に続いたかのような雰囲気を感じさせ、読みながら「これ映像化するの無理なやつだ......」という感想が頭に浮かんだ。私の頭は終始混乱していましたが総合的には面白かったのでOKです!

 

14. 一万二千粒の錠剤

15. 懲戒の部屋

 五本目。中央線の電車内に立つ30代の男性サラリーマンが、些細なことから女性への痴漢容疑をかけられ、完全に冤罪ながら周囲の女性乗客や駅の女性保安官、女権保護委員会地区委員長(女性)、全婦連お茶の水支部長(もちろん女性)などに囲まれて物理的に袋叩きにされ、その場に召喚された妻にも裏切られて会社にも遅刻する話。想像を絶する100%の悲劇で構成されている。

 

 68年発表作品。即座に「あっ、これは"ウーマン・リブ"の件だな」と察しがついた。2022年現在においてもジェンダー(特に女性)を取り巻く諸問題は叫ばれ続けているが、際限なく深刻さを増している現状を鑑みると流石に誇張し過ぎてハリウッドザコシショウのネタみたいになっている本作も未来予知としてはあながち外れてもいないのかな......(呆れ)という気持ちになった。この話のテーマを『"フェミニスト"(ダブルクォーテーション大事)の暴走』と捉えるのは安直過ぎるかなと思ったが、私の普通程度の頭脳でどのように考えてもやっぱりそれしかないのかなーという結論に至った。完全フィクションだからこそギリ笑える話。

 

16. 色眼鏡狂詩曲

 

 

4. おわりに

 個人的に近年は無力感でいっぱいの日常生活を送っている私ですが、本当に久々に小説を読むことで最高に楽しめたことの他に「あ、俺って"本を読む"という能力はあるんだ......」と副産物的に気付くことができました。昨今『日本人の○割は長い文章が読めないっぽい』といういったい煽り何%だよみたいな提言が目につくこともあって、私自身ちょっと心配に思っていたところです。

 

 色々と長く書いてしまいました。最後に本書『堕地獄仏法/公共伏魔殿』の感想を一言でまとめると「50年以上前にこれ書いてたってすげーな」です。もう一般人の私からは結論、これしか出てきません。どの時代に読んでもあたかもだいたい最近書かれたような筒井康隆作品に対する感想あるあるです。しかしながら一点だけ言わせていただければ、この現象は何も筒井が「未来を予言してやろう」という思い100%でやった結果ではないと思います。「ひとの愚かさが変わらないかぎり、筒井康隆の小説は面白い。つまり、筒井康隆の小説は永遠に面白いのである。」(裏表紙より)とあるように、人と人の創り出す社会の本質を的確に書き出したからこそ、この先いかなる時代に読まれても共感されうる作品になっているのだろうなと思いました。

【ポケモンUSUM】メガバシャーモバトンにおけるぱちぱちオドリドリの有用性についての考察(2021.10.10)

1. はじめに
 前回のポケモン構築記事では2019~2020年まで全然ポケモンをやっていない件について触れるところから始まったわけですが、驚くべきことにその後もまったくポケモン(剣盾)をやっていませんでした(いつもの)。とは言うものの対戦以外ではダイヤモンドやサファイアのストーリーはやっていましたし、その他ポケモンの絵を描いたりポケモン公式YouTube動画を観たりしていたので広い意味ではポケモンに触れ続けていたという感じでお願いします(何)。

 そのような中、たまたまGoogleから表示されるオススメWeb記事から亡霊杯なる非常に魅力的な大会が開催されることを知りました。大会の詳細なルールや結果などは割愛しますが、ざっくり言うと第八世代に存在しない一部のポケモン達や使うことのできないメガシンカに対応するポケモンなどのみを使うことのできる大会でした。

 

 私はメガシンカ対応ポケモンとして馴染み深いバシャーモを採用することにしましたが、第七世代のメガバシャーモと言えばメガボーマンダミミッキュという強大な天敵がいることはよく知られている通りです。今回の記事では、第七世代当時のメガバシャーモ使いとして憎くて仕方のなかったメガボーマンダの対策について、非常に限定的な環境の下ではありますが個人的に新たに一定程度満足できる発見があったので記事に残しておこうと思います(""独自""(新聞並感)みたいな雰囲気で書いていますがネット上を探すと割と普通に過去記事が出てきます。あくまで私個人が今回気付いた内容です)。

 

参考:【ポケモンUSUM】HBベースぱちぱちオドリドリの育成論【ボーマンダ対策】

pokelog.work

 


2. オドリドリ(ぱちぱちスタイル)の紹介

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オドリドリ(ぱちぱちスタイル)@ゴツゴツメット

特性:おどりこ

性格:ずぶとい

努力値配分:196-0-204-0-0-116

実数値:175-xx-126-118-90-128

技:めざめるダンス, こごえるかぜ, はねやすめ, ちょうはつ

 

H:8n-1, 16n-1

S:(準速75族, ランク+1で最速122族)+1

 

A216スカイスキンメガボーマンダすてみタックル39.4~46.9%

A200ガブリアスげきりん61.7~72.6%

A207メガギャラドスのこおりのキバ45.7~54.9%

A197てきおうりょくメガルカリオインファイト40.0~48.0%

A216かたいツメメガメタグロスのれいとうパンチ72.0~85.7%

                                                        バレットパンチ14.3~17.1%

C155いのちのたまゲッコウガのみずしゅりけん(1発)12.0~14.3%

 

めざめるダンス

・H171D150メガギャラドス49.1〜57.3%

・H147D91ゲッコウガ91.2〜107.5%

 

こごえるかぜ

・H171D110メガボーマンダ51.5~63.2%

 

 メガバシャーモからバトンタッチで後続に繋ぐ構築のいわゆる「電気枠」です。特に制限の無いレーティングバトルでは霊獣ボルトロスウォッシュロトム、サンダーやデンジュモクなどが採用されていたような気がします(レート1800程度並感)。これらのポケモンメガバシャーモが不得意とする水タイプや飛行タイプに素直に出していく役割を担っています。メガバシャーモと弱点が被る地面タイプを無効化でき、また、強力な積み技である「わるだくみ」を使うことができる霊獣ボルトロスが特に評価が高かった感があります(あいまい)。

 

 今回はルール上、上記の優秀な電気ポケモンを使うことができないのでオドリドリ(ぱちぱちスタイル)を採用しました。実数値を見ていただければわかるように、タイプや特性(後述)は恵まれていながら種族値がかなり貧相なことになっております。最低限にして最上位の役割としてメガボーマンダの攻撃を受け止めて切り返すために、努力値はほとんど防御に振りました。これによって他にもオドリドリへ有効打を持たない物理アタッカーにもある程度対応できるようになっています。素早さはメガバシャーモの1加速バトンタッチを受けて出ていくことを想定し、ランクが一段階上がった状態で最速メガボーマンダや最速ゲッコウガを抜くラインまで振っています。

 

 こちらから与えるダメージについて、当初はぼうふうとヒコウZを採用することである程度の火力を担保していましたがはっきり言ってオドリドリではその他の電気枠ポケモンのように自らの攻撃で全抜きを目指すことは不可能だと悟り、途中からゴツゴツメットに変更しました。これがかなり有効で、例えばステルスロックを撒いてある状態で相手のボーマンダが出てくればステロダメージやすてみタックルの反動、ゴツゴツメットのダメージなどを合算してのちに有効打の無いメガバシャーモとびひざげり圏内に入ってきます。仮にメガボーマンダがこごえるかぜを嫌がって逃げてしまったとしても、条件次第では一度接触させたり場に出し入れさせたりするだけで役割を果たしたことになります。

 

例:ボーマンダ戦を想定

1/4(ステルスロック) + 1/6(ゴツゴツメット) + 1/4(ステルスロック) = 2/3

                                                                                                             ≒ 66.6%

66.6% + 33.3~39.2%(A231メガバシャーモとびひざげり) = 99.9%~105.8%

双方の性格や努力値配分次第では若干足りませんがそこら辺は雰囲気で()

 

 さらに「おどりこ」というこの先新たに追加されづらそうな特性も非常に面白いものでした。ほとんどの場合、メガバシャーモと対面したメガボーマンダにはかなりの余裕があるため、こちらのバトンタッチ際にりゅうのまいを選択して火力アップ+素早さを再逆転し、こちらのバトン先で出すポケモンは何もできずに倒されてしまう(もしくは積む余裕を失う)ことがこれまでの課題としてありました。オドリドリであれば交代直後にこちらもりゅうのまいを使い、素早さの逆転を許しません。ただし上を取っていてもこちらから一撃で倒せるというわけではないので、必ず1回は相手の攻撃を受けます()

 

 技についてはめざめるダンスとこごえるかぜ、起点化されないためのちょうはつまではほぼ確定で、最後はエアスラッシュやめいそう、フェザーダンスなど色々あると思いました。個人的にはメガボーマンダと組まれていることの多い鋼タイプをも突破する(or流す)ための技が欲しいなと思いましたが、残念ながらそのような高性能の技は見つけられませんでした(ギルガルド対策(?)にいばるを採用したこともありましたが流石に駄目でした)。霊獣ボルトロスのように自分から広い技範囲と火力の高さで3タテを狙う、というポケモンではないので裏のポケモン次第では簡単に止まって押し切られるということもありましたが、しっかりと役割を絞ってあげればかなり面白い立ち回りができ、なんやかんややっている内に残ったメガバシャーモの全抜きルートができていた、なんてことも多々ありました。

 

 以上長々と書きましたが、結論としてオドリドリ(ぱちぱちスタイル)はけっこう面白いポケモンであるということがわかりました。有用性あります。強いとは思えませんが。もしも今後、USUMで制限無しのPTを組むことがあったとしたら、電気枠にオドリドリを選択する――なんてこともあるかもしれません。いや、流石に...流石に...?

 


3. おわりに
 久し振りにポケモン対戦について考え始めたと思ったらまさかのUSUMだった、という話でした。第七世代はメガバシャーモ自体の型や先発のステロ要員、バトン先について色々悩んだまま終わってしまったので未練があるのかもしれません。でも最近になってステロエンペルト@シュカがバシャーモを先発させられない多くのケースに対応しやすいことに気づいたり、今回のように変なバトン先を見つけたりできたのでこれで第七世代の亡霊として成仏できるのかなと思いました。私はメガバシャーモが好きなので、攻防両面でメガバシャーモを縦横無尽に動かしていけるこの構築もまた好きなんですよね。

 

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■今回のオドリドリの名前の由来、完全に思いつきです。。。